【毒親育ち】母との記憶を記録します
私の母は俗に言う【毒親】です。
毒親とは、過干渉や暴言・暴力などで、子どもを思い通りに支配したり、自分を優先し子どもを構わなかったりする「毒になる親」のこと。
近頃は一般的な言葉になってきているのではないでしょうか?
私の母の場合「過干渉」があり、それによって何度も衝突しました。
近頃、自分自身の経験について考える機会が多く、自然に子どもの頃のことを考える時間が増え、毒親について考えるように。
詳しく調べてみると、毒親に悩んでいる方、今も苦しんでいる方がたくさんいらっしゃいました。
そこで【私が毒親に悩んだ記録を残すことが、今現在悩んだりしんどかったりする人のためになるのでは】と考えたのです。
また、アウトプットをすると自分の中で整理がつきやすいので、記憶の整理のためにもこの場をお借りして書いていきたいです。
少ない記憶
正直、小学生だった頃のことをあまり覚えていません。
クラスの先生の名前や仲が良かった子、流行った遊びや授業のことを、年齢を重ねるにつれ忘れたのだろうと思っていたのですが…
私が覚えていることは、周りの同年齢の友だちと比べてあまりにも少ないのです。
おそらく、つらかった記憶を思い起こすのが嫌で、蓋をしてしまっている状態です。
私は元々、自己肯定感が物凄く低いのですが、これは母の過干渉が酷かったせいだと思っています。
少しずつ、蓋をしている思い出たちと対峙していかないといけないなと考え始めました。
母親について
彼女は根が真面目な性格であり、また、離婚によって女手一つで子供たちを育てなければいけないという強い使命感もあった。だから完璧な親であろうとしていたのでしょう。
そしてプライドも高いため、周りに悩みを打ち明け相談することも出来なかったはず。
その結果、娘たちの全てを把握しようとしたり、力で自分の思い通りにしようとしたり、マイナスの方向へ進んでしまったのだと思います。
もちろんこれは「今思えば」です。
当時は私だって子どもだし、ただただ傷つくだけでした。
傷ついて自分を責めて、暴れたり家出をしたり自分を傷つけたり、本当に良くない時期を過ごしたなと思います。
離れてよかった
社会人2年目の夏、ついに念願叶って1人暮らしを始めることが出来ました。
1人暮らしを決めるまでも色々とあり大変な道のりでした。
(そもそも1人暮らしを許可していないと言われたり、内見には必ず同行すると怒鳴られたり、頭がおかしいとカウンセリングに通わされたり…)
なんとか説得をし、母の家から徒歩20分、職場まではバスで通える場所にあるアパートに決定。
そこからも少し大変ではありました。
(引っ越しの際に泣かれたり、スペアの鍵を預けるよう言われたり、毎日のように連絡が来たり…)
ただ、大変だったけれど本当に1人暮らしをしてよかったです。
物理的に離れることによって、母も少なからず視野が広がり、干渉してくることも減りました。
「1人暮らしをすると親のありがたみがわかる」なんてよく言いますが、それに勝る「1人の気楽さ」を感じることが出来るのでとっっっってもおすすめです。
現在の関係
親との関係が完全に修復(というのでしょうか?)されたわけではありません。
母の望む”仲良し親子”になったわけでもありません。なりたいとも思いませんが。
今でも、母と長時間一緒にいると気持ちが落ち着かず、しんどいです。
学生時代や母と同居していた時は何度も関係を完全に断ちたいと考えていました。
ただ、色々あり距離を置けている状態の今では、完全に関係を断つ必要はないと感じています。
【毒親育ち】カテゴリー
まとめて読みやすいように、カテゴリーを作ります。
自分の過去や成育歴を振り返ることは思考のクセや自己理解をする上で重要です。
なので、子どもの頃の自分の気持ちを受け止めるためにも、思い出したことを書いていきたいです。
【毒親育ち】カテゴリーが誰かのもとに届きますように。
簡単には書けない、向き合うことが難しい内容になる記事もあるかもしれないけど…休み休み書き進めていきますね。